ふんわりした生活

本を読んだり仕事でやってみたことなどの日常から、ふんわりと気づきなどを書いていきます

いまの自分以外にも伝わるようにブログを書こうと思う

いままで自分へのメモとか備忘録としてブログに書いて残してきました。でも、それってあまり優れた方法ではないような気がしてきたのです。

他人へのメモとして書く

なぜかというと、自分へのメモとしたら自分さえわかればいいということを念頭に置いて書いてしまうと、かえって意味がないことに気がついたのです。

他人に分かってもらえないと存在しないのと同じになってしまいます。そして、往々にして時間が経過してから読み返すメモは何を書いているのか分からなくなっているものです。

それは時間の経過によって記憶が薄れ、自分は他人と同じになってしまうからです。

だからこそ、他人あてに書いたほうがいいのではないかと思うわけです。 そして、これはメモ、ブログもそうですし、コード片も同じなのです。

昨日書いたコードは他人のコードに見える

これはプログラマ時代に書いていたころによく思っていたことで、コメントは分かりやすくと言われますが半年後の自分に向けて、など意図を伝えられるように書く必要があります。半年後の自分は完全に他人です。もはやなにがどうなっていたのか、さっぱりです。だからどういうつもりで書いていたのか、それをコメントとして書かなくてはいけません。

コメントもアウトプットのひとつだとすると、次のように言えると思います。

アウトプットは理解されて初めて成立する

プログラムのコメントだろうが、コードだろうが、ブログ記事だろうが、電話メモですら何のことを書いているか、読み手がわからなければ存在しないのと同じなのです。だって、ゴミでしかありませんよね。コメントなら無視します。ブログなら検索サイトに戻ります。電話メモならクシャクシャしてゴミ箱へシュートです。

だから、理解されなければ成立しないのです。これはインプットとアウトプットが聞き手あるいは読み手と書き手あるいは話し手のコミュニケーションだと捉えたとしたらごく自然なことだと思います。会話が成立してなければ発話してないのと同じだからです。

それでもアウトプットしなければならない

英語が話せないけど、伝えようと思うと、たとえ聞き手が何を言ってるか分からなかったとしても身振り手振りして伝えようとしますよね。

伝わらないとしてもアウトプットしようとするのをやめてしまってはコミュニケーションに到達できないでしょう。だからダメでもアウトプットしなければならないな、と思うのです。

未来の自分に何かを伝えるつもりで、これがブログのように公開されているものなら偶然見かけてくれた方にも伝わるように、書かなくてはならないですね。