ふんわりした生活

本を読んだり仕事でやってみたことなどの日常から、ふんわりと気づきなどを書いていきます

イマイチとパーフェクトの間の「いい感じ」はどこにあるのか

ふと思ったのでエントリーします。

我が家は二世帯で暮らしてたりするのですが、親世帯から返された洗ってある食器をみて「ああ、汚れが残ってるわー」と思って洗い直したわけです。そのときにふと思いました。

イマイチとパーフェクトの間

このときのわたしの感覚では母が洗った食器の洗いあがりレベルは「イマイチ」だったわけです。そこで洗い直すことにしました。しかし、わたしが洗い直した食器の洗いあがりレベルが「パーフェクト」だったか?というと違います。

似たようなことが時折あるのですが、母はあまり食洗機を信用してなくて「手洗いしたほうが綺麗になるよね」と言います。妻は「加熱するから食洗機も時々使わないと衛生的にどうか」なんて言ったりします。ここでの議論のすれ違いは「イマイチ」となるレベル設定あるいはそれを脱出するために必要な条件が異なるがために生じていると思います。

では二人が「パーフェクト」を求めているかといえば、そうでもありません。なにせ、母の食器の手洗いはかなり雑ですし、妻が使う食洗機も予備洗いしていないとガラス製品なんかは汚れが落ちていないことが多々あります。それでもそれぞれの「いい感じ」を満たすことが多数になるので満足しているのかもしれません。

「いい感じ」とはなんだろう

急に別の例で考え始めました。ワインバーなどへ行くとマスターが手洗いでグラスを洗い、乾燥後に汚れがないかを確かめていたりします。これでも「パーフェクト」ではないかもしれません。というのも、酔いが回ってくるとグラスがどれくらい綺麗に洗浄されているかを気にする人はグッと減るからです。しかし、居酒屋だろうがファミレスだろうが最初のグラスに汚れがついたままで提供されると「ここ、イマイチだな」となります。ワインバーのマスターはこの最低限だと思われる「イマイチ」を脱するでもなく、完全に曇りのないグラスを提供するでもなく「いい感じ」にグラスを洗っていると思います。

ここでいう「いい感じ」はおそらく以下の条件を満たしているのだと思います。

  • 利用する人が不快に感じないようにしている
  • 料金あるいはサービスの内容に応じている
  • その人がつくっている雰囲気に応じている

ですから、薄暗いアダルトな感じのワインバーでは「ワインを楽しむために訪れるお客さんがワインを飲もうかなと思うような雰囲気を作り出せる」レベルのグラスの洗い上がりを目指しているのだと思います。

「いい感じ」は時と場合によって異なる

話は一番最初の返された食器に戻ります。これが「いい感じ」であるレベルはどのくらいなんだろうと考えてみました。そうすると、「次に子供たちにご飯を乗せて提供しても不快にならずスムーズにご飯を楽しむことができる」レベルなんだと思います。これが我が家に客人を招くとしたら、レベルは全く違ってくるでしょう。だから、時と場合によるんですね。

「いい感じ」を連発できる、あるいは安定して他人が「いい感じ」と思うことができるようであれば信頼を置かれるということでしょう。ある意味、狙ってやってるわけですから信頼されて当然なのかもしれませんが。「いい感じ」を狙うためにはおそらくは次のことを日頃から行っていなければ難しいでしょう。

  • だれのための作業なのか
  • どんなときのための作業なのか
  • どういう状況で生きる作業なのか

これができるためには周囲にも気を配る、あるいは特定のスコープにおいて気を配ることができなければならないでしょう。むずかしいなー。

しかし、これっていろんなことに活用できそうですよね。割と普遍的なスキルだと思いませんか? このスキルを磨くには周囲の状況を注意して見る、人の話に耳をかたむける、その状況に自分がなってみるなどの能動的なアプローチが必要だと思われます。自分から磨きにいかないとうまくいかないんですね。

ということで、たかが食器洗い、されど食器洗いというお話でした。