ふんわりした生活

本を読んだり仕事でやってみたことなどの日常から、ふんわりと気づきなどを書いていきます

欲しくない

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数日ぶりにmacでブログのエントリーを書き始めた。やはりBearはなかなかよい。快適なエディタ環境の1つだ。これでBGMにうっすらと静けさを感じるような音楽が流れたらいいな・・・

減少する欲求

これはわたしの老化に起因するものなのかもしれない。ここ数年、どんどんと物欲が減っていっている。もう目に見えるレベルで減っているのだ。いぜんなら、あれが欲しい、これが欲しいと思っていたものが薄れ、どうしても必要なもの以外は購入しなくなってしまった。もっとも購入しているのはおそらくは妻のものか息子たちのものだろう。

ここ最近何を買ったかを思い出してみたが、自分のものとして購入したのは文庫本になった「スタンフォードの自分を変える教室」というものだ。自己啓発というよりは、科学的な雰囲気で書いてあるので読んでみてもいいかな?という程度の動機ではあった。なお、読了していない。

また、同時に所有欲についてもどんどんとなくなっていることがわかっている。先日、自分用につくったsatoyama-editorをGitHubに公開してみたのも、手元にだけ持っていても仕方ないので公開したまでだ。今回のこの記事には使っていないが、それはサーバーを立てていないからmacで起動するのが面倒に感じただけでもある。mac用にElectronパッケージをつくっておくべきだった。

m0t0k1m0t0k1.hatenablog.com

欲しいものはなんなのか

あまりにも物欲や所有欲が減少の一途をたどっているので、欲しいものがないのか考えてみた。もちろん、生活できるだけの現金は欲しいところではあるが、それ以外で。

まず考えたのは、現代的な「他人にシェアしたいものがあるか」ということから考えてみた。30分ほど自問してみたが、見つかったのは次のものだけだった。

それは、イオントップバリュ製品の無地ノートでA5サイズのもの、それにフリクションボールスリムの組み合わせだ。これがあれば、自分の思ったことを紙に落書きしていくことができる。ここまでくると、メモ取れたらそれでいいのか、おれは、という気持ちになったわけだが。

これらの何がいいかというと、ノートは罫線がなく小さく薄くカバンにも余裕で入る小ささにもかかわらず、書きにくくないサイズだということ。そして100円切っている価格だったと記憶している。フリクションボールスリムはノック式だけど芯が細く、書きやすいからだ。これで十分。

もはや自問していくだけ時間の無駄だと感じたため、シェアしたいものではなく「よいものとは何か」を自問してみることとした。すると、長く付き合えるものがよいものだという結論に達した。これはモノだけでなく環境や人もそうだと思う。

どういうものが長く付き合うことができるものなのか?とさらに自問したところ、シンプルなものが長く付き合うことができるのではないか?という仮説がでてきた。では、シンプルとはどういうことなのだろうか。それは、「いらないものがついていない」ということだ。いらないもの、たとえば無地のノートには罫線がない。わたしにとって、ノートの罫線ほどいらないものはない。整然と並んでいることはノートにメモをするときに必要とされることではないと考えているためだ。よって無地ノートばかりを優先的に使用するようになった。

いらないものがあるのは、ストレスを感じてしまう。そのため、罫線があるというストレスを無地ノートを使用することで除去しているということだ。フリクションはどうか?わたしは字がヘタだ。それによく間違える。だから書き直したいのだ。しかし鉛筆やシャーペンではダメなのだ。だいたい、黒や赤だけではダメなのだ。わたしはフリクションボールについては黒や赤、青といった事務でよく使われるものを一切買わない。多いのは、緑、紫、ピンク、茶といった事務には使われなそうな色ばかりを使用している。いまは茶がもっとも気に入っている。落ち着いた雰囲気のなかにも硬さが感じられないというところだろう。

いま欲しいものをまとめると、長く付き合えるシンプルなものだけが欲しいということになった。そりゃ物欲も減るよね・・・

惰性のコーヒー、妥協のウェブ

それでも物欲や所有欲がなくても頻繁に口にするもの、目にするものがある。それがコーヒーとウェブだ。SNSはあまり使っていないが、ウェブの情報はコーヒーと同じくらい日常的に嗜んでいる。

コーヒーは嗜好品だ。さまざまなメリット、デメリットがあるがカフェインを簡単に補充することができる点が特徴だろう。わたしも朝食以外で最低1杯は飲んでいる計算になる。

以前は近所にあるドトールやカルディなどでペーパーフィルター用に豆を挽いてもらって楽しんでいた。楽しむのは色合いや味のほかにも香り、フィルターしてコーヒーを淹れるまでの過程も楽しんでいたわけだ。しかし、いくら良いからといっても時代の流れには負けてしまう。現在はネスレが販売しているバリスタiを利用している。イマイチな公式アプリ、そしてボタン1つでコーヒーを淹れてくれる手軽さ、メンテナンスの簡単さ、放置していてもメチャクチャにはならないところ、1杯あたりのコストを考えると惰性で飲むコーヒーのほうが勝利を収めている。

シンプルであることを考えると豆を挽いて淹れたコーヒーのほうが妥当だと考えられるのだが、コーヒーをどう捉えるかによってはバリスタマシンのほうがよほどがシンプルなのかもしれない。ペットボトルからカップに注ぐだけのものと考えたら、バリスタマシンのほうが近い。

ウェブを閲覧してしまうのも同じなのかもしれない。もちろん旅行へいって現地を体感するほうがシンプルだ。しかしウェブを使用すれば手続き自体がシンプルになる。このとき、コーヒーも同じだが体験ではなく消費なのだと考えられる。カフェインや眺めをコンテンツとして消費しているのだ。

消費していくのだから、欲求は大きくなりにくい。その体験を所有する欲求も起こりにくい。

消費から体験へ移行したい

マーケティングの書籍で、「体験を提供するからものが売れる」ようなことを読んだ。それもそうだと一旦は思ったわけだが、体験自体を必要としなくなった人もたくさんいるのではないだろうか。出かける、実物をみる、聴く、話を聞くほうもか。書籍を読んだり、友人とスポーツをしたり。だれかにパフォーマンスを見せたり、観たり。そうしたことをしなくなった人も多い。

わたしもきっと、その一人なのだろう。来月には息子の付き添いで倉敷市が主催するウォーキングイベントに参加する。きっと息子の付き添いでなければ体験することはなかったイベントだ。今年で付き添いは3回目になる。たった10kmしか歩かないのだけど、その中でさまざまな景色や人、倉敷の史跡、天候などを体験することができる。3年前は突如としてあられに降られてバタバタと避難したことを覚えている。

瀬戸内倉敷ツーデーマーチ/スポーツ振興課/倉敷市
http://www.city.kurashiki.okayama.jp/2day/

物欲があることは、決して悪いことではない。所有欲もだ。欲求がなくなってしまっては生物としてはかなり危険な状態にあると考えられる。目指すところは欲求はあるが、それをマネジメントすることができている状態だ。そこへたどり着いて、このブログで欲しいものを列挙していきたいものだ。

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)

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