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ふんわりした生活

本を読んだり仕事でやってみたことなどの日常から、ふんわりと気づきなどを書いていきます

年末年始に感じたこと:お年玉の使い道に見る、現代の子供の認識している「自然」

年が明けました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

わたしは2歳の息子が体調を崩したので、まったりと帰省先で過ごしておりました。 本日1/5からやっと今年も開始でございます。

まだ小学校も幼稚園も始まっていないので、お昼の用意が…

クリスマスプレゼントを振り返る

2015年のクリスマスは、ゲームソフトではないものが息子たちに届きました。 それなりに息子たちは喜んでいて、妻もそれをみて「よしよし」という感じでした。

世間としても、ゲームソフトは首位陥落したようでしたのでそういう年だったのでしょう。

news.livedoor.com

「そういう年」というのは、ゲームソフトでクリスマスにあげたいものの候補が全てパッとしないということだと思います。 だって、スプラトゥーンやスーパーマリオメーカーはクリスマスプレゼントでなくても欲しいでしょう。 そしてポケモンも出ませんでしたし妖怪のみなさんも静かでした(映画を除きますが)。

我が家は小学生の息子に日本の歴史マンガを。

幼稚園の息子にはウォッチを。

妖怪ウォッチ DX妖怪ウォッチU プロトタイプ

妖怪ウォッチ DX妖怪ウォッチU プロトタイプ

という感じでした。 今年こそはゲームソフトではなく、という妻の強い願いがサンタクロースに届いたのでしょう(おい

2016年、三が日を振り返る

帰省していたので、息子たちは親戚の方々からお年玉を頂戴しておりました。

わたしは子供の頃からもらったお年玉はすべて自分の口座へ貯金するたちでしたので、息子たちのようにすぐさま「何買おうか」といった盛り上がりを見せたことはありませんでした。

そうです、息子たちはお年玉ですでに購入したいものをピックアップしており、各個人が最も妥当だと考えたものを選択していたのです。

帰省先では欲しいものが在庫切れで、4〜5軒はうろうろ探してみましたがどこにもありませんでした。 自宅へ戻ってきて、近辺で残っていそうなマニアックなショッピングセンターへ祖父母に連れて行ってもらい、息子二人はお目当てのものを手に入れてきたようです。

お目当てのもの…それはこれです。

そう、結局はゲームソフトでした。 このゲーム、それほど激しくは売れていなかったような気がしていたのですが、ジワジワと人気がでてきたのか?わかりませんがまさかこんなに引きつけるものがあるとはとガッカリしました。

小学生の息子は「赤猫団」のほうを持っていましたが、なぜかもう一方の「白犬隊」も必要ということで購入してしまったようです。 どうも両方持っているとVIPなどとよばれるステージ?ができるようになるとのことで、プレイしたさの結果ということでした。

今回の気づき

2015年でソフトよりハード、実際に手に取ることができる「ブツ」というものへの回帰みたいなことが2016年も起こっていくのかなーと勝手に思っていたのですが、こどもたちには関係ないようです。

これからはIoTだ!とか言ってる社長さん、あと数年ももちませんよ!

いまの子供たちはハードウェアがインターネットに接続されていないことのほうが珍しいと考えていますので。 息子たちと量販店での在庫、そうした物凄く狭い範囲での所感ですが、あながち間違ってなさそうなのでまとめてみたいと思います。

まず、いまの子供はハードがある、そしてソフトがある、そのうえでハードもソフトもインターネットに接続されているということが極めて自然だと捉えています。

それは本やマンガといった物理的なもの、玩具(今回は妖怪ウォッチや仮面ライダーのベルトとか)というようなハードウェアが身の回りに溢れていいます。 ですから、まずそうしたハードウェアは「あると嬉しいけど、なくてもよい」という認識になります。

そしてゲームなどのソフト、スマホなどへダウンロードしてくるようなものも無料でいくらでも入手することができます これらも「あると嬉しいけど、なくてもよい」という認識になります。

そしてそれらは様々なインターフェース、たとえば玩具などについているQRコードを経由してインターネットから情報を得ることができます。 スマホであればさらに通信対戦やアイテムの交換などといったコミュニケーションについてもかなり容易に行うことができます。

もしもWi-Fiがない、となると「どこかで接続できないか」「テザリングできないか」などとインターネットアクセスを要求してきます。 でも、「ここはそんなのないから」と説明すると「ふーん」となります。 なくてもいいのです。

話が逸れてきましたが、結局のところ、子供たちは「欲しいもの」を手にいれることができるだけの「予算」があれば、大人の思惑は関係なく必要なものを手にいれるのだということです。

「いつもゲームばかりしているから、たまには別の遊びもしてほしい」というのが大人の思惑ですし、実際そういうように育ってきたかもしれません。 しかし日常にゲームは溢れかえっていて、いつでもインターネットを介して遊ぶことができます。 そして細かな褒め要素が詰め込まれていますし、所有欲も満たすことができます。

いまの大人が言うところの「自然」がNatureというか、土と植物あるいはアウトドア的な要素を強調しているような気がしますが、現代の子供にとっての「自然」はインターネットアクセスが容易な環境なんだと大人が再認識したほうがよいと思います。

どういうことかを繰り返しかもしれませんが、以下のような事柄がいまの子供にはすべてフラットに捉えられているということです。

  • 「森の中を探検する」と「RPGをする」
  • 「書籍で調べる」と「ググる
  • 「工作する」と「マインクラフトでアイテムを作る」
  • 「スポーツをする」と「ゲームをする」

ただ、わたしが子供だった1980〜90年の頃と共通してるな、と強く感じるのは言われて勉強をするのが嫌いということでしょう。 興味があることへの学習意欲は尋常ではありませんしね…

思った方向へ子供達が進むとは限りませんが、「親」という漢字と同様に「木の上に立って見る」ように見守るしかありませんね。