ふんわりした生活

本を読んだり仕事でやってみたことなどの日常から、ふんわりと気づきなどを書いていきます

抜群になりたければ得点率1割でもプラスアルファのこだわりを持とう

先日、小学生対象競技大会というのがあって息子が参加しました。わたしも子供の頃に体操をやってまして、自分も参加したことのある大会なのですが、今年で息子の参加は3回目でした。

上達とはなんだろう

3回目ともなると、息子も慣れきってしまっていました。緊張とかありません。

いつもどおり息子の演技をビデオ撮影するので、他の参加者とあわせて撮影していました。そうすると、息子の上達してなさが半端なくわかりました。もう、イラッとするレベルです。

他のお子さんと比較すべきではないでしょう。今回初参加のお子さんもいらっしゃいますから。しかし、その子達と比較するとあまりに上達していないのです。

そこで、他の参加者も撮影しながらジッと見てるとその「違い」に気づきました。

息子は筋肉もそこそこ発達しており、体幹が鍛えられているので演技中のバランスもよく、柔軟性もあるのでしなやかにパフォーマンスしています。しかし、演技を流してしまっているのでした。 他の参加者でも高得点を出しているお子さんは演技にも不慣れな様子なのですが、ひとつひとつの動作がカチッとしています。

そこが最大の違いでした。

細部に神を連れてこないと「すごくない」

小学生で、しかももっとも演技内容の難易度が低いクラスなので、実はほとんどが減点方式で得点差がつきます。だから、息子の得点は伸びません。減点するところばかりだからです。

どういうことかというと、ひとつひとつの動作は滑らかで安定感があるのですが、動作には「形」があります。キメですね。しかし、息子の演技は「決まっていない」のです。決まっていれば減点されるいわれはないのですが、恐ろしいまでの残念感があります。滑らかに動作をしたのに、最後がヘナっとするのでめちゃくちゃカッコ悪いのです。

一方、満点あるいはそれに近しい得点のお子さんは動作は覚束なくてもひとつひとつのポーズがピシッと決まっています。だから採点するほうは減点する必要がありません。

体操だけでなく、いろんなことに言えそうだなーと思って自戒していました。過程が優れていても、決めるところで決めなければ台無しです。だから雑に見えるし、チープにすら受け取られます。そうすると、トータルで「イケてない」印象を受けるのだな、ということです。

まさに、神は細部に宿るというやつでしょう。

神を宿して群を抜く

素晴らしいものを作ろうとすれば感動を与えることになるでしょう。感動は作ることができるそうです。それは、誰でもできそうなことを1ランク上のレベルで行うから「すごい」となるわけです。

1ランク上はどうしたらいいのでしょう?誰でもできることを「ここまでやるか」としたり、あるいはビシッと決めるところで決めて「かっこいい」をもたらすことで「ひとつ上だね」感を出すようになるでしょう。

それはいわゆる「丁寧」と呼ばれることだろうと思います。でもそれはバカていねいということではないですよ。

基礎的なことの積み上げでベースを作り、そこへ細部にこだわりをプラスするからいいのです。最初からていねいでないほうがいいですよね。時間がかかりすぎます。それは「丁寧」という評価を受けないと思います。

しかも、これをするためには基礎練習が欠かせません。なぜなら、基礎練習を繰り返しているからこその「余裕」が細部にこだわりをもたらすためのバックグラウンドになるからです。毎日とまではいいませんが、コツコツと基礎を繰り返し練習することの大事さをこういう大会では大きな差になって痛感しました。

日々の暮らし、仕事のなかでは大会はなくてもイベントごとがあると思います。会議にしても商談にしてもレビューにしても、大小さまざまなイベントでパフォーマンスを発揮する必要のあるタイミングがたくさんありますよね。このときに力を発揮して「すごい」と信頼を得るためには基礎練習を続けていくより近道がないのだなと思いました。

「100点満点の10点でお金をとることができるのがプロ」というような言葉を聞いたことがありますが、まさにこれではないでしょうか。時間は有限です。その制限のなかで、今できる100点満点の9点分を稼ぎ、そのなかでプラスアルファの1点を加えることができれば感動も生まれるのでしょう。

この1点をとるために、文章であれば推敲、校正がありますし、ソフトウェアではテストが行われるわけですね。どう考えても割に合わない1点ですが、この1点が全体の評価を決めてしまうことになるな、と思います。

たまにはビデオ撮影もしてみるものだな、と思いました。普段と違うことをすると、気づきって生まれやすいですね。