ふんわりした生活

本を読んだり仕事でやってみたことなどの日常から、ふんわりと気づきなどを書いていきます

「何も考えていない」が何故起こるのか、考えてみた

今朝、いつものように起床してスマホRSSリーダーアプリでニュースとかブログを斜め読みしてました。

そのとき、ふと思ったのでエントリーしました。

何も考えていない

目にしたのは例の新国立競技場の建設計画が白紙に戻ったりした件への批判記事でした。 ここ最近はこういうことへの批判や、安保法案の問題で内閣支持率が低下しているとかいうニュースや記事が新聞でもウェブでもよく見かけるようになりました。

批判記事自体は過去のすぐれた建設計画との比較で「どうしてこうなった」という問題提起をしている記事でした。どうしてこうなったのか自体は記事に書いていませんでしたが、キーワードとして「何も考えていない」というものだけが私の頭に残りました。

お客さんの流入など、いろんなことを考慮して建設というものはデザインされるべきなんだが、という意味で「何も考えていない」ということだったのですが、ほんとに何も考えてないんですかね。

どうして何も考えていないのか

わたしの疑問は、「ほんとうに何も考えていないのだろうか?」という点です。あれほどの規模のプロジェクトです。プロジェクトそのものの計画がなされ、それに従ってメンバーがアサインされます。そして、各メンバーにはすべきことがタスクとして割り当てされて他のメンバーと協力してタスクの解決、完了へ向かって作業を進めていくとおもいます。 これだけでも「何も考えない」わけにはいかないはずなんです。でも、「何も考えていない」と批判を受けています。

ここで、もう一つテレビのニュースで放送されていたことを思い出しました。
「他人事」です。まるで他人事のように、という表現が繰り返しされていたようにおもいます。

つまり、テレビのニュースでは他人事のように各メンバーがプロジェクトに参画していて、格好だけなのでタスクが完了していかない、あるいは妥当な解決方法を採用していないというように見えました。

どうして他人事なのか

ここで他人事だったんだーを考慮に入れると、さらに疑問が出てきました。どうして他人事なんでしょう?国をあげての一大事業のように見えたのですが。

他人事のような振る舞いをプロジェクトメンバーがするときといえば、経験上では失敗プロジェクトがほとんどです。なんだ、普通か、と思いましたがプロジェクトが失敗するときって大抵は各メンバーが与えられた責務の内側のみをこなしていて、協調して作業にあたらない場合だったなと思い出しました。

つまり、「契約上ではここまでの範囲がわたしの責任範囲なので」となっていて、かつメンバーがお互いにこのような状態でいる、しかもこの各メンバーの範囲が重なっていない或いは離れている場合に発生していたとおもいます。 手書きですが、今回のプロジェクトもこんな感じになっているはずです。

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斜線で書いた部分が協調して考えたり決めたりして、実際にプロジェクトの成否を分ける部分になることが多い気がします。

あくまでも推測ですが、極力自分たちが何らかの損失を被るリスクを低減するために契約で範囲を決めてプロジェクト参画したのではないかとおもいます。このため、ほんとは「こうしたほうがいい」と思っていてもそうはすることができません。 今回のような国をあげてのプロジェクトだと、しくじったときの損害が大きいので線を引いてしまったのでしょう。でも走り始めて結構経過していますよね。2020年ですか、そうですか。

白紙撤回後のこと

これまた他人事のように「白紙撤回とか言うけどさ…」と思ったりしますが、キツイですよね。実際のところ。これが小さなプロジェクトで延期(ゴールの再設定、今回の場合は開催時期)も可能なものであればいいのですが、そうもいきませんよね。また、これまでの他国で開催するオリンピック会場の建設についても「遅れている」とか「間に合うのか」「日本だとそういうことないけどね」みたいなニュースもしていたのを記憶してるので、素晴らしいおもてなしがあるといいなと思っております。

プロジェクトが成功するのって難しいですね。
プロジェクトマネージャーは成功しか認めてもらえないので、何がどうだろうと成功させることにするのでしょう。