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ふんわりした生活

本を読んだり仕事でやってみたことなどの日常から、ふんわりと気づきなどを書いていきます

いい質問をすると何がうれしいんだろう

ライフハック 考え方

さきほど帰宅したのですが、その帰路でどこかの御宅の壁に衆議院議員のポスターがありました。

そのポスターには「国会質問ランキング2年連続1位」のようなことが書いてありました。「へー」で終わりますよね。でも、この方はポスターにアピールポイントとしてそのことを持ってきたわけです。おそらくは「こんなランキングで2年続けて1位なんだから評価が上がるだろ」と思ったのでしょう。でもわたしのような政治に疎い人間からすると、「へー」か「ふーん」で流してしまうようなくらいのアピールポイントです。

きっと、国会での質問の評価が高いということは議員としてはすごいということなのでしょう。政治に疎くない方にすれば「おお!そうなのか!」というフックになるんだと思います。

質問の「質」

書籍なんかでも「いい質問をする」方法なんかが書かれています。「いい質問」でググるNAVERまとめなんかが出てきますし、ポイントが書かれています。

ところで、それらの方法やポイントが、だれかがした質問に「いいね!」となるポイントと重なっているのでしょうか。少なくとも質問された方からすると「それを聞いて欲しかった」ということがあれば「いいね!」なのでしょう。逆に「なぜにいまそれを聞く!」となれば質問の「質」としてはあまりよろしくないということなんでしょう。

質問の目的やポイントから察するに、「いい質問」は相手とのコミュニケーションを円滑にする効果があるのだろうと思います。だからこそ、いい質問すべきなのでしょう。

「いい質問」の「質」

いい質問はするべきだ、なのですが、実際に「いいね!」となる質問が「いい質問」なのでしょうか??わたしにはわかりません。もしも冒頭にある衆議院議員さんが「いい質問」を連発して高評価なのだとすると、もっと取り上げられてもよさそうなんですが…見たことないのはわたしの意識が低いからかもしれません。

また、気になるのは「いい質問」をしているとわたしが思い込んでいるだけで、実際には「妥当な質問ではない」のかもしれません。たとえば、国会で「この党に所属している」、「この議員が」、「このタイミングで」、「これについて質問をする」という何かしらテンプレートみたいなものがあって、これへの合致率が高いものを「いい質問」と評価するのであれば、「だれの」「なににとって」良いのかということになるんですが。

そうすると、「いい質問」というのは「コミュニケーションを円滑にする」効果があることが予想されるので衆議院議員さんだと「国会運営が円滑に行われる」ことに協力していることになるのでしょう。それなら評価されるべきですね。もしもそうではなくて「ある点について、ある側面からの何かがこうなること」というようにピンポイントな評価なのであればあまり「いい質問」ではないのかな?と思います。実際のところはどう評価されているのかわかりませんので何とも言えないのが悔しいところです。

みんないい質問すると良くなるのか

家庭で、たとえば夫婦のあいだで、あるいは親子の間で「いい質問」をすると「コミュニケーションが円滑になる」効果があるのであれば、家庭は円満になりそうな雰囲気が醸されます。そう、思いますよね。とすると、不和になっているご家庭やうまくいっていないな、と感じるときは「いい質問」ができていないのでしょうか?そんなことはないでしょう。これ以外の評価軸がありますからね。

それでも「いい質問」することを心がけたほうが会話も弾んで、円満になりそうな感じがしなくはありません。情報を引き出してその真偽も確認しつつ、本音を探って提案する。難しそうな話です。

仕事のときはできるのに、なんていうこともあったりするんでしょうか。あるいは逆とか。

ちょっと考えてみたいと思いました。